令和8年8月30日(日) 【旧 7月18日 赤口】 処暑・天地始粛
帰るさの朝霧ふかし虫の音を夕露かけてたづねこし野に
~冷泉為広(1450-1526)『清玉集』
帰りには朝霧が深く立ち込めている。昨夕は露を浴びて虫の音を求めてやって来た野に。
帰るさの朝霧ふかし虫の音を夕露かけてたづねこし野に
~冷泉為広(1450-1526)『清玉集』
帰りには朝霧が深く立ち込めている。昨夕は露を浴びて虫の音を求めてやって来た野に。
冷泉為広は室町時代後期から戦国時代にかけての公卿・歌人。上冷泉家6代目当主であるため、上冷泉為広とも呼ばれます。京都御所の北側にある「冷泉家住宅」も上冷泉家の屋敷であり、為広はその直系の先祖にあたります。
応仁の乱後の都は荒廃していました。庶民はおろか、公卿たちも困窮する中、為広は都の和歌や連歌という文化に憧れる戦国大名たちに歌道の師匠として渡り歩く道を選びました。命がけの旅路であったことは『為広下向記』にありますが、越後の上杉、駿河の今川などの領国では大歓迎を受けています。中でももっとも為広を手厚くもてなしたのは能登の畠山義総でした。為広自身もこの地の風光明媚が肌にあったのか、人生最後の数年間を能登で過ごし、大栄6年7月23日、都に帰ることなくこの地で77歳の生涯を終えています。西暦にしてちょうど500年前の今日、1526年8月30日のことでした。
思ひ寝になれこし花や今朝さくもなほ覚めやらぬ夢の面影
~同
夢の中で見慣れてきた桜の花が、今朝ほんとうにに咲いたのに、まだ夢が醒めきっていないかのように、その面影が残っている。
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